花見世

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御朱印とは?

「ご朱印」について
この頃、神社仏閣に参拝され「ご朱印」を受ける方が大変多くなっております。
これは「納経」とも呼ばれ、その由来は参詣者がお経を書写して寺社に「お納め」することに始まっております。ですから昔は納経帳の右肩の所に「奉納大乗経典」と書かれておりました。現在は「奉拝」という文字となっております。
いつの頃か、この作法が簡略化されて、お写経を納めなくとも参詣の証しとして「ご判」を頂くことになって今日に及んでおります。そして各霊場を巡拝する「巡礼」信仰と結びついて盛んになりました。これは観音三十三礼所あるいは四国八十八ヶ所を巡礼し、その全部の霊場から「ご判」を頂くと、その功徳によって地獄に堕ちないばかりか、所願も成就するという古来の信仰に基づいているものです。
このような本義から申しますと、お経も書写せず、あるいはお堂に入ってお参りもしないで、ただご朱印だけを集めて歩くということでは、本来の尊い意義を無視してしまうことになり、あるべき姿から離れてしまいます。少なくとも『般若心経』一巻または『観音経』偈文などを書写なさるか、ご宝前で読誦されるなどして、その後に「ご朱印」をお受けになるようにして頂きたいものです。
金龍山 浅草寺

これ(上記)は聖観音宗総本山の浅草寺で御朱印を頂くと添付されている一枚の説明書に書いてあるものですが、他のいくつかの寺院の御朱印にもおおよそ同じ意味の説明書が付いています。
御朱印を頂く場合、上記の内容は正論で当然のことです。
しかし、《本義》を正すのであれば、拝観者だけに問題があるのではなく、作法を簡略化させた寺院側にも責任はあります。
御朱印を頂くには、「志納」といって、お気持ちをお納めくださいとして金額を明示しない寺院もありますが、多くの寺院では300円の納付金を徴収しています。御朱印代として納付金を徴収するのであれば、これも《本来の意義》から離れてしまうのではないでしょうか.....。
御朱印代が寺院の収入となっている現状、《本義》を拝観者だけに要求するのは正しくない論理だと思います。
《本義》を追求するのであれば、御朱印は本来の姿に戻す。つまりお経を書写して寺院に納めた拝観者、あるいは、其れ相応のものを納めた拝観者、および巡礼者だけにお渡しするべきだと思います。

私の場合、写経は定めている一ヶ所の寺院で行ない、霊場巡礼は特に定めて行なっていませんし、経典など偈文の書写も行なわないため、拝観後、御朱印を頂くときに写経を納める代わりに花文字(写真)で山号と寺院名を書いた色紙を納めています。
花文字は御朱印を頂いた寺院すべてに納めています。花文字は自宅で書きますが、写経を書くときと同じ気持ちで書きます。

御朱印代を支払っただけで書いて頂くのは、結果的に御朱印としての意味と価値がなくなるばかりではなく、スタンプラリーや記念スタンプと何ら変わらないと思います。

御朱印の御礼




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